文化の日。よしなしごと。
やろうとしていること、関心のあることを的確に表現する言葉が見当たらない。
ことに、キノクマヤでの活動を一言で言えないことには時々不便さも感じる
が、端的に言えないこともまぁいっか、とも思っている。
体験して分かる人には伝わるし、そうでないこともあるし、みたいなユルさが心地いいと思うからだ。
それって、色んなことに通じる。
マスメディアでの情報共有とは違うベクトルのもの。
わかるひとには分かる。
けれど、わからないことを否定するでもなく排除するでもなく、なにかそういうもの。
その場、空間に居合わせたことで理解出来る共有感。
そういうものかと思う。
今、私の関心は自分に繋がる土地や時の中で人々が感じ、考え、表現してきたことやものたち。
そうしたものから、今を見つめてみたいと思っている。
5月からの?29?1はそうした活動のひとつだった。
面白いお話をお客様から教えて頂くこともあったし、出展者からのアイディアから多いに刺激を受けた。
あるジャンルにおいてそれは、伝統と言われているものかもしれない。
が、
伝統というもう既に動かない“保存”の対象みたいな言われ方をしているものに
実は微細な“今”が詰まっているように思う。
伝統という冠をとってみたらどうだろう。
これも既存概念の含まれた言葉に違いないが、色んなものがまざった“文化”が存在しているようだ。
そしてさらに、そうした“文化”って
特別な所で醸成されたわけでもなくて一人一人の生活者から生まれたものでしょう、
と考えている。
その特別でない生活者の目線の今、を見つめ直したいな、と思うわけである。
ちょっと回りくどいが、そんな物事をめぐる由無し事をぼやぼや考えながら、
動いたり、言葉にしてみたり、してみようと思っている、今のところ。
キノクマヤは、気まぐれに生活とかに結びつく文化とかなんか表現とかそんなものを探っていきますよ、そんな表明をする文化の日。