つちのもの
これは、ここの土地のものなんだ、この土地に脈々と伝わるものごとに立ち会わせて頂いているんだ、と感じたら堪らなく満たされた心地がした。
その前夜も遅くまで画面とにらめっこしていてどうなることかと心配だった鶴岡行き。
友人のご家族の皆様のおかげで難なく連れて行って頂いた。
なにせ有名な伝統芸能。黒川能。
さぞや混雑しているのだろうと身構えていたら駐車場で拍子抜け。
例大祭当日なのか?と疑いを持つほど余裕の空き。
もう始まっているかも、と恐る恐る入ってみるとまだお祈りの最中。
祭壇に奉納された野菜たちがここの豊かなことをあらわしている。
たけのこ、かぶ、色々…
『祈祷が終わったら席は早いもん勝ちだから、座布団持って移動しな』と耳打ちされた通り、正面席の2列目付近に座布団を並べて陣取る。
橋掛りが両側に伸びている。
黒川能では、春日神社の氏子さんたちが役者を代々勤めており、上座、下座で使う橋掛りが異なるようだ。
厳かに謡手たちが揃いの上下をつけてそろりそろりと出てくる。
「ふむふむ、上手の橋掛りから出て座るのか。切り戸口から出て座る感覚かしら」なんて思っていたら
「ちがう、もっと先」と小声。はっと気がつく先頭の方。
軌道変更して、無事に下手側にずらり並んで正座。
ちょこちょこ土地の言葉が聞こえてきて、それだけでわくわくしてきた。
能2番、狂言1番とだけ頭にあったので何の曲かしら、と思っていたら”式三番”から。
能楽堂だと『翁舞の間は出入り厳禁』というとても神聖なものだから、こちらもちょっとドキドキしながら舞台に集中していた。
ずっと受け継がれてきただろう装束は部分的にすり切れている。
色もすすけている。
この装束は何代に渡っているのかしら、、、なんて思った矢先、
カシャカシャとビニール袋のこすれるような音がする。
思わず、音の方向を振り返る。
おにぎりパックではないか!!
なぜ、今??
気を取り直して、鈴を持つ舞手に目を戻す。
さっきとは逆方向から「はい、はい、どうぞ〜」「はい、どうぞ〜」と近寄ってくる。
何事か!?
私も、おにぎり2個パックを受け取った、式三番中に。。。
そうか、おにぎりを食べながら観ていいのか、なんて土地のルールを噛みしめたのも束の間。
『はい、のむかい?』とおじちゃん。
氏子のおじちゃんがお御酒を注いで回っている。
まだ式三番は終わっていない。
いいのだ、これで、と数メートル先の舞を横目に一口頂く。
絶対次は泊まりで来ようと心に誓った。
さらに、午後。
静かな曲の中に、謡ではない言葉が混じっている。絶妙に。しかし謡ではない。
はっと見ると、下手脇にあたる1列目に土地のおばあちゃま2人組が鎮座して、ひたすら世間話をしている。
なまっているからよくわからないが、さっするに絶対に世間話だ。だって時々笑っている。
舞台は笑う場面ではない。
シテが下がったその間、舞台上から謡手さんが「ほれ、ほれ、ちょっと」と声をかける。
すかさず、私の後方から「耳遠いから、聞こえねよ〜」
謡手さん断念、おばあちゃんたち続行。
独特の節回し、独特の面、独特の運び、魅力的なことばかり。
黒川能は、土地の人が、土地のものとして継承している、ただその姿が魅力的である。
大仰な目的を掲げることなく、ただそのつちが在ることを抱えるだけのあたたかさで続けている、それが今、ここで私と出会っている。
これ以上言うことはない。
観光客のためではない、土地のためにただ祈り、ただするのである。
その振る舞いと、その土地がただただ美しい。