3.11からの6年を前に
最近、強い余震が頻繁にある。
しぜんと3.11.を思い出す。
感傷的な言い方をすれば、自然の神様が思い出せよ、と戒めをくれているのでは、とも思う。
一方で、正直なところ、もう同じようなことは体験したくないと強く思う。
この6年、私の身の回りも当たり前のように世の中のご多分に漏れず、大小様々なことが起きた。
震災前と変わらないような些細な日常生活の出来事、ありきたりばかりでもあるが、
その下にしっかり流れる福島の通奏低音が消せたらと思うこともしばしば。
”放射能”という言葉に疲れて、見ること、聞くこと、知ることをやめたい、放棄したいと思うことも未だある。
ほっといてくれよ、いや離れていって、と思う。
さて、白状すると、アレクシェービッチの「チェルノブイリの祈り」がまだ読めていない。
つい先日も本屋に平積みされたそれを見て、買おうか迷った。
が、怖くなって手に取ったものの平積みの山に戻してしまった。
実は、この本はしばらく前から自宅の本棚にならんでいる。
ひょんな理由から英語版の。
そして、一番最初のエピソード部分だけは読んだのだ。
けれど、どうにも切なくて読み進めることが出来なかった。
小学生の頃、古びた図書館で見た絵本「ピカドン」や
震災後に東海村臨界事故についての「朽ちていった命」を読んだ後の衝撃がよみがえって、勇気が出なかった。
おぼつかない英語で読んでさえ、あんな気持ちになったのだから、
邦訳のものを読んだらどうなってしまうんだろう、と考えると怖かった。
そうした自分の気持ちの小ささ、申し訳なさの穴埋めに”祈り”のようなものを2014年から私自身もはじめた。
この国に古くから伝わる方法を借りて。
私は、精神論を唱えたり、声高に叫んで訴える方法をとることが出来ない小心者だが、祈ろうとは思う。
見返したら、2011年の発災直後も自分に言い聞かせるように”祈る“という言葉を綴っていた。
祈ったって、誰の何の役にも立たないかもしれないが、
古来からなにかを鎮めたり慰める方法がこの国に伝わってきたことを学び直して
ほっと安堵したのももう一つの確かな思いである。
「チェルノブイリの祈り」の邦訳を読み進めるのはもう少し先かもしれないが、
私なりのやり方で、希乃久万屋の活動を続け、
その活動に対して自身の祈りの思いは込め続けたいと思うのである。